フィルマゲドン記 9月10日水曜日

まだ忘れないうちに今年の映画祭の1日ごとの記録を残しておこうと思う。

9月10日水曜日、この日はクリスピン・グローヴァーさんがロスアンジェルスから金沢に来る日だ。
アメリカのナッシュヴィルで6日(日本時間だと7日)までビッグ・スライドショウの公演があったので、クリスピンさんはロスアンジェルスの自宅へ戻ってすぐの出発だった。
16時着の成田空港まで迎えに行くことができなかったので、デザイナーの高橋ヨシキさんに成田空港〜羽田空港小松空港までのアテンドをお願いする。ヨシキさんは本来なら11日木曜日の映画秘宝原稿入稿に向けて地獄の日々を過ごしていたが、それを1日早めて仕事を終わらせてもらいグローヴァーさんのアテンドをしてもらった。

グローヴァーさんの日本到着に関してはそれほど心配していなかったが、今回のビッグ・スライドショウの根幹をなすある物(ほとぼりが冷めてから後日詳細を記す)をクリスピンさんが持ち込めるかどうかがまったくの運頼りだった。8月末に仙台メディアテークで開催された全国コミュニティシネマ会議でユーロスペース堀越謙三さんをはじめ諸先輩方に教えられてはじめて知った所定の手続きを踏んでいなかったのだ(しかし、今から思えば所定の手続きを踏んでしまえば、『What is it?』はまだしも『It is Fine! Everything is Fine.』は本来の形で上映できなかっただろう)。
もし、それを日本に持ってこれなければショウ自体が開催できないため、保険として別の形での方法をクリスピンさんに何度も交渉するが頑なに拒まれる。が、その気持ちは理解できるため結局腹を括ることにする。

それを日本に持ち込めたかどうかが非常に心配だったため、16時過ぎヨシキさんに入国確認の電話をする(この件はヨシキさんには伝えていない)。ヨシキさんの「無事着いたよ」の返事に「じゃ、小松空港までよろしくお願いします」と冷静に答えたが、内心では勝利の雄たけび。
19時半の羽田発小松着便は前の飛行機の整備不良のせいで1時間遅れて20時半到着となったが、とにかくブツは日本に入った。飛行機の遅れなどはもはやたいした問題ではない。
20時半、小松空港の到着口でクリスピンさん、彼女のマーラ・ラフォンテインさん "Mara LaFontaine" (クリスピンさんと共演している現在製作中の『Forlorn』で映画デビュー)、高橋ヨシキさんを迎える。全身黒ずくめの(最後までいつも黒い服装だった)クリスピンさんは長旅の疲れももものともせず元気よく「Hello!!」。
そして、クリスピンさんの物々しいスーツケースの山でブツが無事到着したことを自分の目でも確認し、大きく安堵したのだった。

小松空港から金沢までは自分の自動車で移動。小松空港から金沢までの移動は1時間弱。この間の移動では小松の自動車事故で他界した任天堂横井軍平氏(ファミコンのコントローラーやゲームボーイを発明。スーパーマリオを作った宮本茂氏(金沢美大卒)の師匠)の死をいつも思い出し自分も交通事故でゲストを死なせてしまわないかといつも心配になる。過去に小松空港から金沢に黒沢清監督と高橋洋監督を乗せて移動した時もここでこの二人を死なせてしまったら「世界の映画史はどうなってしまうんだ?!」と不安になっていた。
そんな緊張感を持ちながら、自動車で出発すると空港前の反対側車線の道路でJ・G・バラードの『クラッシュ』ばりの大規模な交通事故が発生していた。気の毒だが我々の代わりに犠牲になってくれたのだろう。金沢へは無事に到着。
もうすでに22時近くになっていたが、クリスピンさんたちは空腹を訴えていたのでホテルにチェックインする前に浅野川沿いの芸姑町主計町にある「空海」で夕食。大量のスーツケースだけ先に映画の会スタッフのTさんにチェックインしてもらう。
空海」は古い町家を改造した居酒屋で映画の会スタッフのYさんが設計した。7月の浅野川大洪水では1階部分が浸水し大きな被害を被ったが無事復活。2階の座敷の雰囲気や窓から見える夜の町の景色にクリスピンさんは大満足していた。ベジタリアン(でも魚食)のクリスピンさんとマーラさん(甲殻類アレルギーなので慎重にメニューを選ぶ)はとにかく白いご飯と味噌汁が大好きでこの日の後もいつも食べていた。あと、枝豆も。そして、日本酒の美味しさにも驚いていた。アメリカにある日本酒はウォッカなみに飲みにくい辛さなのだとか。
明日はリハーサルで早いので23時半ごろ二人が満足したところでスタッフの自動車でホテルまで送ってもらう。自分もヨシキさんと1時ごろまで二人で飲んでタクシーで帰宅。
帰宅するとクリスピンさんが飛行機の中で仕上げた2日目のスライドショウの原稿がメールで丁度届いたので今回ビッグ・スライドショウ全般の翻訳をお願いした柳下毅一郎さんに早速転送する。この文章量でクオリティを失わずに2〜3日で訳せるのは柳下さんだけだ。

「字幕等に関する諸々の不安は残るが、それは明日のリハーサル次第だろう。とにかく本人とブツは金沢に入った」と安堵の中2時ごろ睡眠に入った。
が、その2時間半後の早朝、新たなビッグ・トラブルが起きるのだった・・・。